安中城

 
所在地群馬県安中市安中3丁目。安中駅の西方1.8Kmの北端の崖が九十九川に面した台地。
構造平城(崖端城)
築城永禄2年(1559)、安中忠政が築城。徳川家康が関東入封の後、井伊直勝が廃城となっていたのを再建した。
城主ほか安中忠政、(武田方)安中忠成、井伊直勝、直好、水野元綱、元知、堀田正俊、板倉重形、重同、内藤政森、政里、政苗、板倉勝清、勝暁、勝意、勝尚、勝明、勝殷
その他 安中忠政は、武田勢の攻撃に敗退し、詰腹を切らされたが、子忠成は本領を安堵された。けれど長篠の戦で討死にした。
 板倉勝明は学者藩主として多くの著作を残しており、藩士の鍛錬の為に碓氷峠の熊野権現までの7里余りの中山道を徒歩競争させ、現在の「安政遠足侍マラソン」の発祥となっている。
 安中藩出身の新島襄は、函館から禁止されていた海外渡航をしてアメリカに渡り、アマースト大学を卒業し、岩倉使節団にも参加した。帰国後の明治8年同志社英学校を創設した。

縄張り 「上毛古戦記」山崎一著より2010/12/29 歩行図
本丸跡地近くの体育館本丸跡地近くに建つ安政遠足の碑
郡奉行役宅(旧猪狩家)同左説明板
安中藩武家四軒長屋(復元)安中小学校前の城址碑
大名小路にある新島襄ゆかりの安中教会大名小路 旧郡役所
広小路 太鼓櫓跡大手門跡
城北端崖から望む妙義山・九十九川R18号により分断された太郎兵衛屋敷跡
熊野神社脇の東門と桝形跡坂口門跡

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