赤穂城

 
所在地兵庫県赤穂市上仮屋。播州赤穂駅の南1.Kmで、千種川の河口三角州であった平地。
構造本丸と二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸との関係は梯郭式となっている海岸平城で、天守台はあるが天守閣は築かれなかった。
築城室町時代に赤松満祐の一族が、天正年間に宇喜多秀家が刈谷城と称する陣屋を築いた。池田輝興が改築、赤穂城と称した。正保2年(1645)、浅野長直が本格的城郭への改修にかかった。
城主ほか岡光広、池田長政、忠継、政綱、輝興、水谷勝隆預り、浅野長直、長友、長矩、脇坂安照預り、永井直敬、森長友以下14代の森氏
その他 元禄14年(1701)、浅野氏3代目城主長矩が、江戸城内で刃傷事件を起し除封となり、赤穂浪士が敵討を行うという忠臣蔵の舞台である。
 現在、赤穂城整備計画によって史跡整備が進められており、本丸にあった学校は移転し、二の丸の民家すべてを撤去し、三の丸でも大石神社、廃城前の武家屋敷以外の撤去がされている。

縄張り「現地案内図」より2015/06/24 歩行図

大石神社参道の四十七士像と三の丸藩士宅跡搦手の塩屋門
説明板大手隅櫓と大手門
大石内蔵助邸長屋門二の丸外堀
二の丸門跡説明板二の丸外堀
清水門付近の水堀潮見櫓台跡
水の手門と説明板
本丸石垣花見広場内遊水地
二の丸西仕切門本丸厩口門
復元本丸門山鹿素行像

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