所在地 | 高知県安芸市土居廓中。土佐くろしお鉄道安芸駅の北北東2Kmにある城山と呼ばれる比高25mの小さな丘。 |
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構造 | 安芸平野の中央にあって、東に安芸川、北に城ヶ淵、西に矢の川、南に溝辺の堀らを天然の堀とし、また内堀と土塁を築き、南の大手門には桝形もみられる。 |
築城 | 鎌倉時代の延慶元年(1308)に安芸親氏が築いたといわれる。山内一豊の土佐入国とともに、重臣の五藤が安芸土居として周辺を整備して安芸を治めた。 |
城主ほか | 安芸親氏から国虎までの安芸氏、長宗我部氏、江戸時代は山内氏の支城(土居)として家老五藤為重から代々の五藤氏 |
その他 | 安芸氏の先祖は、蘇我石川麻呂の弟、左大臣蘇我赤兄と伝えられている。 永禄12年(1569)、長宗我部元親は三千の兵を率いて戦いを挑み、1ヶ月余りの戦闘ののち、井戸に毒物を投じるなどにより勝利し、国虎は自害した。 江戸時代幕府は一国一城令をしいたが、特例として伊達には「要害」、島津には「麓」、山内には長宗我部の旧臣たちを抑えるため「土居」と呼ばれる支城の存在を認めた。 |
「探訪日本の城9南海道」より | 2010/05/19 歩行図 四国旅行 |
安芸城(土居)の虎口 | 毒井戸跡 |
城山の本丸跡 | 二の丸に残る石垣 |
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